わたしは、仏壇の供養じまいを専門にやらせてもらっており、仏壇を色々なご家庭にお預かりにお伺いしているのですが、その時に各家庭でよく尋ねられる事があります。それは、
仏壇の供養じまいを行うのは初めてのことだと思いますし、不安な気持ちになるのもわかります。今実行しようとしている事が正しい行動なのか? 先祖に申し訳ない? など心配な気持ちから出てくる素直な気持ちだと思います。
わたしは「素晴らしいことを行っている」と考えております。
なぜなら、色々な事情から面倒を見る事のできなくなった仏壇に対して、しっかりとけじめをつけて行動しようとされているからです。
たとえば、誰も仏壇にお参りをしなかったり、扉自体が閉まりっぱなしだったり、そのまま放置している家庭もきっとあると思います。
あなた自身が「これじゃいけない」とか、「なんとかしたい」と思う気持ちから仏壇を片付けようと行動されているのですから、むしろ誇りに思うべきなのではないでしょうか。
わたしは、皆様からお預かりした仏壇を刈谷市のお寺の住職に、いつも最後の法要をお願いしております。
皆さまからお預かりした仏壇の仏さまへ、最後のお礼の言葉を述べていただき、お別れする儀式を住職にお願いしています。
今回は、仏壇を処分を行った人にむけて完了報告書と一緒にお送りしている、住職からのメッセージ「お仏壇の処分に際しての受け止め」を紹介したいと思います。
住職からのメッセージ「お仏壇の処分に際しての受け止め」
ご縁を恵まれ、あなたがお世話してこられたお仏壇の前で、最後のお勤めをさせていただくことになりました。
お仏壇を処分するにあたり、どのようなご事情があったのでしょうか。大切にしていたものを手放さなくてはならなくなった時、「愛別離苦」(愛する者と別れる苦しみ)という教えが思い起こされます。
「出会った者は、必ず別れていかなければならない。このような苦しみに心身を悩まされているのが、私たちの真実の姿である」
と、仏さまの教えは明らかにしてくださいます。
理解できたつもりでいても、みずからの身の上に別離の時が訪れたなら、受け入れられずに苦しむのが、私たちの姿でもあります。そのような時、浄土真宗のご開山である親鸞聖人は、次のように仰せになりました。
「つくべき縁があれば一緒になり、離れるべき縁があれば離れていく」 「現代語版 歎異抄六」より
みずからの人生の中で経験する様々なできごとを、仏さまの教えを通して見つめ直し、苦しみすらも人生の一部分として受け入れていくお姿を、見出すことができるのではないでしょうか。
お仏壇を手放すことになっても、仏さまの教えが失われることはありません。
むしろ、大切なものを手放さなければならない、思い通りに生きることのできない、私たちのような者のために、はたらき続けてくださるのが、仏さまなのです。
さいごに
「お仏壇を手放すことになっても、仏さまの教えが失われることはありません」とあります。その通りだと思います。お仏壇自体の外見よりも先祖や仏さまを敬う気持ちが大切なのではないでしょうか?
たとえば、位牌などの供養対象物が目の前になかったとしても、あなたの先祖に対する気持ち自体はなにも変わらないはずです。
仏壇を手放すことは決して悪いことではないのです。仏壇処分する人は急増しています。
最後になりましたが、仏壇を手放す際は、のちのち揉め事が起こらないよう、家族や親族と充分な話し合いをして、了承の上で進めて参りましょう。勝手にひとりで決めて進めていくのは止めておきましょうね。
関連リンク
仏壇を処分したいとお考えの方へ ⇒ https://gokuyo.com/useful/2020/08/14/1408/
お仏壇をミニサイズに変更する方法(浄土真宗) ⇒ https://gokuyo.com/useful/2020/01/28/587/
浄土真宗の仏壇の処分方法について ⇒ https://gokuyo.com/useful/2020/12/23/1917/
宗派が分からない場合の仏壇の片付けについて ⇒ https://gokuyo.com/useful/2021/03/23/1982/
位牌・遺影・仏壇などの魂・お性根抜き供養~整理処分をするなら ⇒ https://gokuyo.com