実家が曹洞宗の人で仏壇を片付けたいと考えている人から、片付けてしまうと追善供養ができなくなるけど大丈夫でしょうか?と聞かれました。
そもそも追善供養とは、何のために行うのでしょう。疑問に思ったので、曹洞宗の住職に尋ねてみました。住職から教えてもらった内容から私は、追善供養という機会に仏教に関わりを持っていこうということだと理解しました。
しかし、実家が代々曹洞宗だからといって、自分自身もそのルールを守る必要はありません。仏壇が無いからといって、追善供養ができなくなる訳ではないからです。
今回は追善供養について紹介しながら、どうしてルールを守る必要がないのかについて紹介してみます。
【追善供養の様子】
追善供養とは?何のために行うの?
追善供養とは、亡くなった故人に対して行うものです。人間は生きている限り、なにかしらの恩を受けています。
たとえば、お金を稼ぐにも仕事が必要ですし、それを必要とする人がいてこそです。「私は自分の力だけで生きている」と考えている人もいるかもしれませんが、完全に1人で生きていくことはできません。
また、食事をしなければ人間は生きていくことができません。人間は1人で生きていくことはできず、動物や植物から命をいただいているわけです。しかし、その「いただいたもの」を返さなければならないと考えるそうです。
貰ってばかりでは良くないので、少しづつ返していこうというのが追善供養です。でも亡くなってしまってはその「借り」を返すことができなくなります。そのため、生きている人が供養をすることで代わりに「借り」を返すのです。「借り」を返すことで徳を積み、それぞれが極楽浄土に行けるようにする、というのが追善供養です。
「今までいただいたものを返し、キレイな身になって極楽浄土へ行く」というイメージだそうです。
追善供養の種類
追善供養は大きく分けて2つに分けることができます。
- 日常の供養
- 行事としての供養
などが挙げられます。順番に見ていきます。
日常の供養
追善供養が何なのか分からないという人もいるでしょうが、実は自覚がないだけですでにやっている人が多いです。例えば仏壇に手を合わせる、お米などを供える、故人を想うなど。
「追善供養」と聞くと改まった儀式のような感じがしますが、こういった日常の行動も追善供養の1つです。その他にも、お墓参りも追善供養です。
家族で定期的にお墓参りをするとう人もいますが、それも追善供養になっています。お墓や仏壇の前でなければ供養にならない、というわけでもありません。
もちろん何かお供えしないといけないというルールもありません。
亡くなった人の冥福を祈ることも追善供養となるので、実はとても身近なものなのです。
行事としての供養
日常的な追善供養もありますが、行事としての追善供養もあります。
「初七日(しょなのか)」「四十九日(しじゅうくにち)」という言葉を聞いたことがあると思います。
まさにその言葉こそ、行事としての追善供養です。これらは自分だけで行うのではなく、法要という形式のあるものです。
亡くなった日から四十九日までを「中陰(ちゅういん)」、「中有(ちゅうう)」と呼びます。この間、七日ごとに法要が行われることになります。
まだ亡くなったばかりで、故人が冥途と現世をさまよっている期間とされていますから、7日ごとに法要を行います。
そして四十九日が終わると「忌明け(きあけ)」となり、再び法要を行います。
7日ごとの法要は家族だけで行うのが一般的ですが、「忌明け」は親戚なども招いて行うのが一般的です。
また、「百か日法要(ひゃっかにちほうよう)」、「年忌法要(ねんきほうよう)」というものもあります。
「百か日法要」とは100日目の供養のこと、「年忌法要」というのは一周忌や二周忌などの法要のことです。
亡くなった翌年に行うのが一周忌となり、そこから三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌となります。
【お坊さんに来てもらって追善供養をしてもらう様子】
※補足 一般的には三十三回忌までだがそれ以上する場合も
年忌法要は年ごとに行われる法要です。追善供養はそもそも「故人の借りを生きている人が代わりに返すもの」ですが、それは永遠に続くものではありません。基本的には三十三回忌で終わります。
住職の話によると、「三回忌、七回忌というのは故人の誕生日のようなもの」だそうです。そして「三十三回忌」が成人式。成人式を迎えたところでひと段落となり、完全な仏様になるため、三十三回忌をもって最後の法要とするケースが多いのです。
地域や家庭によっては三十三回忌が終わっても五十回忌、百回忌と続くところもあります。
追善供養のやり方
日常の供養としての供養の場合には、特に決まりはありませんが、仏壇の前で手を合わせる、お花を添えるなど自分にできることをしていきましょう。墓参りをしたときは墓石や墓域の掃除、お供え物、線香などもすると良いでしょう。
ちなみに曹洞宗は、焼香のとき2回お香をたてます。まずは合掌礼拝しお香をつまみ、額のあたりにいただき、炭の上へ。
もう一度お香をつまみ、今度は額へもっていかずに炭の上へ。最後に合掌礼拝をして終了です。
追善供養のやり方をおおまかに説明しますと以下のような流れになります。ポイントごとにみていきましょう。
初七日の法要
三途の川のほとりに到着する日だとされています。住職を呼び、お経をあげていただいて会席を行います。
四十九日までの七日ごとの法要
個人がこの世とあの世をさまよっているとされている期間です。故人が極楽浄土へ行けるように供養をするようにしましょう。
この期間は遺族だけで供養するのが一般的で、線香をあげるなどして供養します。
四十九日の法要
来世の行先が決まる日だとされています。家族や親族だけではなく友人など故人と仲が良かった人なども招きます。
年忌法要
家族や親族、生前に親交があった人などを読んで合掌、焼香などを行います。住職に来てもらうかどうかは地域や家庭、何回忌かによります。
法要に招待されたときの服装
礼儀作法もそうですが、服装はパッと見て分かるため、必ずマナーを守るようにしましょう。
四十九日までの服装
基本的に葬儀と同じ服装で参列します。
男性はブラックスーツ、女性は同じくブラックのスーツやワンピースを着るようにし、アクセサリーなどの装飾品も控えておきましょう。
一周忌
葬儀、四十九日と同じ服装で行くのが一般的です。
四十九日までではなく一周忌まで葬儀と同じ服装で参加することになるので、勘違いしまいようにしておきましょう。
三回忌以降の服装
地域や家庭により差があります。三回忌以降も喪服やブラックスーツにする場合もあれば、男性は襟付きシャツ、女性は黒っぽいワンピースで参加することもあります。
特に身内だけで行う場合はカジュアルな洋服で参加することが多いですが、施主に確認しておくと安心です。
追善供養は義務なのか?
追善供養を先祖代々行っているわけですが、必ず行わないといけないのでしょうか?
たとえば、さまざまな理由から実家を引き払うことになり、その子供たちは別のところで生活をしているなどの理由から継続して行うことが困難になる人も必ず出てきてしまいます。
ですが、追善供養を続けていく義務はありません。好きにすれば良いのです。
なぜなら日本国憲法においては20条に規定があります。
信教の自由
- 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
- 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
- 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
信じるのも信じないのも自由。布教することも自由なのです。自由にあなたが思うようにすれば良いのです。宗派のやり方を徹底しないからといって例えば先祖に失礼な事をしている事にはなりません。したいようにすればよいのです。
まとめ
追善供養とは簡単にいうと、「故人が極楽浄土にいけるためにするもの」です。亡くなってしまった人は自分では徳をつむことができませんから代わりにしていきましょう。という事でした。
追善供養は宗派によっても違うこともあるそうです。たとえば、浄土真宗では追善供養という考え方はしないそうです。ですが、その中でも各宗派で共通している点がありました。
それは、法事の機会をご縁に、お寺の僧侶と接しているということです。
学びの機会をいただけることは大変ありがたいことだと思います。
ですが、日常の供養を行うのに、形式にこだわる必要はありません。繰り返しになりますが、例えば、実家が代々が曹洞宗だからといって、曹洞宗のルールを徹底的に守る必要はないのです。
先祖に対しての一つの手法として追善供養があるということです。
一番大切なことは、
あなたが先祖に対してどう考えているかが大切なことであり、感謝の気持ちを持つこと
が一番大切だと思いませんか?
必要な時にセレモニーとして仏教徒になり、最低限のマナーを守りながら、気持ちを込めて供養をしていくというのが、現代に最もふさわしいやり方だと思います。
位牌・遺影・仏壇などの魂・お性根抜き供養~整理処分をするなら →https://reset-soul.com/aichi/